最初の兵庫県庁と兵庫津遺跡を堪能できる中央市場前駅周辺

最初の兵庫県庁と兵庫津遺跡を堪能できる中央市場前駅周辺

兵庫津は、「大輪田泊(おおわだのとまり)」とも呼ばれており文献上にもたびたび登場してくる。平安時代後期には平清盛が日宋貿易の拠点として再開発を行い瀬戸内海での主要貿易拠点とした。
以降も歴史上国際港として重要な役割を兵庫津は果たしてきた。
戦国時代には兵庫城が築造され、兵庫津の町は江戸時代中期には人口2万人を程の大きな町になった。
中央市場前駅周辺やショッピングモール内には兵庫津遺跡や兵庫県庁として使われた兵庫城跡などの説明が非常に沢山あり、兵庫津の歴史を学ぶ事ができる歴史スポットとなっている。

兵庫津遺跡

兵庫津遺跡駅掲示
兵庫津遺跡駅掲示

兵庫津遺跡は、神戸市の海岸線のほぼ中央部に位置する遺跡です。

兵庫津は、古くは「大輪田泊(おおわだのとまり)と呼ばれて文献上にたびたび登場し、平安時代後期には平清盛によって日宋貿易の拠点とされたところです。

 これ以後瀬戸内海の主要港としての役割を担い、室町時代に入ると将軍足利義満による日明貿易の発着港とされるなど、国際港としても重要な役割を果たしてきました。

兵庫運河の歴史

兵庫運河
兵庫運河

1874年(明治7年)7月、船が安全に避難できるような泊地を作るとともに、あわせて荷揚場などを設けて、貿易をしやすくすることを目的に新川の開削工事が始まり、1876年(明治9年)5月、新川運河が完成しました。

続いて、1893年(明治26年)に「兵庫運河株式会社」が設立され、1896年(明治29年)から新川運河と東尻池の海岸を結ぶ運河を掘る工事に取り組んでいきました。

1899年(明治32年)にようやく完成した「兵庫運河」は、航路として、船を波や風から守る避難泊地として、さらに荷揚場として大きな役割を果たしました。また、兵庫運河を掘ることで生じた土砂を用いて、近くの浅瀬を埋め立ててできたのが「苅藻島」です。

その後、1931年(明治6年)に苅藻島運河、新湊川運河が完成し、現在ではこれら4つの運河(兵庫、新川、苅藻島、新湊川)を総称して「兵庫運河」と呼んでいます。この「兵庫運河」は水面積約34haの日本最大級の運河です。

兵庫運河
兵庫運河

最初の兵庫県庁、兵庫城跡

兵庫城史跡
兵庫城史跡

天正八年(1580)池田恒興と輝政父子が花隈城を攻め落とした功によって兵庫の土地を与えられてから、兵庫は、それまでの室町幕府の権力を離れ、東大寺や興福寺と兵庫の関との関係も脱して、新たに織田信長の手に入り、これを機会に池田氏は花隈城の資材も加えて兵庫城を築きました。

兵庫城と最初の兵庫県庁
兵庫城と最初の兵庫県庁

新政府は、慶応4年(1868年)1月22日にこの城跡の一部に兵庫鎮台を設けたが、2月2日に兵庫裁判所と名が変わり、5月23日にまた「兵庫県」と改められた。

つまりここが最初の兵庫県庁である。

まとめ

神戸市営地下鉄中央市場周辺で、徒歩10分の範囲以内で兵庫運河、兵庫津、兵庫城と歴史をかいま見る事ができます。
ショッピングモール内にも兵庫津で発掘された物が展示されているので、買い物ついでに歴史の案内板を探しながら散策してみてはいかがでしょうか。

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